やり続けた先に見えるもの
何かを求めて、始めた行動の先には何が待っているのだろう。向かう先は、闇なのかそれとも光が差し込めているのだろうか。何かを得るために何かを犠牲にして先を目指す。時には人を使い裏切り心が痛む時もあることでしょう。望んだ先には何があるのだろう。
<あなたの夢はなんですか?>
幸せに生きること、お花屋さんになること、有名人になること、お金持ちになること、ニートとして生き続けることなどたくさんの夢と希望が溢れている。今自分がイメージしていることが達成出来た時、どんな光景が広がっているのだろうか。
ワクワクする自分、不安な自分、目指した先にあったのは必ずしも良い事という保証はない。あなたは突然悲しむことになるかもしれない。
それでも夢を叶えたいという気持ちが人間には宿る。
とても不思議な感情である。
<感情のコントロール>
何かを追い求める時、一瞬で手に入ることは限りなく無いに等しい。どんなことでも努力しつづけることが必要となる。日々の感情のコントロールを疎かにしてしまうと夢が幻となってしまうかもしれない。
絶対これをやり遂げると強く思い始めたものでも、壁にぶつかって折れてしまえば夢はもう叶うことはない。時間が経つに連れて気持ちが薄れてしまうこともある。常に疑心暗鬼をしながら前に進むためにはやはり自己の感情コントロールが必要だ。
感情コントロールを超える物があるとするならば習慣である。習慣はすばらしい。何も考えなくとも教科書を開き問題を解き始める事ができる。問題を解くことが当たり前になれば作業も苦を感じることもなくなるだろう。
2週間ほど苦しくても続けたら習慣に定着するでしょう。そこで違和感を感じたらば、違う夢を考えても良い。時間は無限ではない誰も待ってはくれないため変更するなら、早いうちが吉である。
<苦難を乗り越えた先に見えるもの>
苦しくてもやり続けた先に見るものはなんだろう。瞬間的に手に入れられるものと何が違うのだろう。それはやり遂げた人間にしかわからないことである。苦労してきたことが報われたことで光が見えているだけなのかもしてない。それは人それぞれである。
さああなたも何が見えるのか気になりませんか?
何か始めましょう。すでに始めている私はあなたよりも先駆者かも知れません。
今日はここまで。
201.08.20